遠藤周作文学館

人間がこんなに哀しいのに主よ、海があまりに碧いのです。(沈黙の碑)

遠藤周作文学館から角力灘を望む
遠藤周作文学館のテラスより眼下に眺める角力灘  2005年2月22日撮影



基本データ
URL 遠藤周作文学館ホームページ
ながさき旅ネット より 長崎市立遠藤周作文学館
■@あっと九州.comより 外海 遠藤周作の魂の源郷
■長崎Webマガジン ナガジン より
  爽快ドライブ2 夕陽が美しい隠れキリシタンの里・外海
住所 長崎県長崎市東出津町77
電話番号 0959-37-6011
開館時間 9:00〜17:00 (入館受付は16:30まで)
休館日 12月29日〜1月3日まで、臨時休館あり
入館料 一般350円、小中高校生200円
訪問日 2005.2.22 / 2009.2.6 写真一部さしかえ

雲ひとつ無い穏やかな早春の青空が、頭上に気持ちよくひろがる。海を眺めるには、打ってつけの日。長崎駅から車で40分程で到着した。

遠藤周作文学館は、隠れキリシタンの里として知られ、遠藤文学の原点とされる小説『沈黙』(昭和41年刊行)の舞台にもなった外海町(作中では「トモギ村」として登場)に、平成12年5月に開館した文学館である。館の候補地はいろいろ上がったが、結局、遠藤氏が「第二の故郷」と呼んで愛したこの地に決まったそうだ。

遺族から寄贈を受けた生前の愛用品、直筆原稿や蔵書など約3万点が収蔵されているという。ここに来れば、遠藤周作氏の生涯やその業績を、短時間で一通り辿ることができる。



写真をクリックすると拡大表示、矢印キーでスライドします。


全景 エコミュゼ外海 味わいのある文字
ポーチから、光溢れるテラスへと進んでゆく テラスの向こうに角力灘が広がる
この海の向こうは、五島列島
外海町立 遠藤周作文学館

発注者:外海町
設計者:平島建築設計事務所+山村建築設計事務所
施工者:西日本菱重興産
着工:1999年3月、竣工:2000年3月 
工事費:423百万円 
構造:RC壁ラーメン構造、屋根=中空スラブ折板工法 
建築面積:1,096u、延床面積:1,074u 
外装:RC打放しの上合成エマルション塗料ローラ塗り、温石小端積み、屋根=亜鉛合金板横一文字葺、建具=アルミ製アクリル樹脂焼付塗装(ジュラクロン)

出典 : 日経アーキテクチュア 2000年11月13日号 no.679

(注)外海町が2005年1月4日に長崎市に編入合併されたのに伴い、同市に引き継がれている。
テラスは広く開放的なスペース 軽喫茶「アンシャンテ」と
出津文化村の方を見る
2009年2月6日 16:49撮影
テラスから見る展示室 アプローチ アプローチと玄関
(2005年2月22日)
テラスから、遠く南の水平線に、面白い船影が見えた。

T先生のご説明によると、おそらく地球深部探査船「ちきゅう」号の試運転だろうとのこと。なんと海底下7,000mまで掘削できる能力を持つそうだ。

→ ちきゅう号の写真は、こちらのページで
玄関 2005年2月22日 写真右奥
ぼんやりと船影が見える?
(2009年2月6日)

遠藤周作文学館の東、国道202号線沿いに、道の駅「夕陽が丘そとめ」が完成しており、そこから文学館まで歩いて行けるようになっていた。
写真左が
道の駅「夕陽が丘そとめ」
道の駅と遠藤周作文学館を
結んでいる階段
道の駅から見た
遠藤周作文学館と角力灘


館内の様子


観覧券 ステンドグラスの淡い光が
差し込むエントランスホール
書斎コーナー
館内は撮影禁止なので、購入した絵葉書より。

あらためて彼の作品を一覧していて、かろうじて私が読んでいるのは狸狐庵シリーズやユーモア小説ばかりで、純文学の類は殆ど読んでいないことに、思わず苦笑してしまった。

遠藤氏は、熱心なクリスチャンだった母親の影響で12歳のときカトリックの洗礼を受けている。
展示室T(常設展示)
遠藤周作の生涯とその足跡
展示室U(テーマ展示)
直筆の草稿や原稿が見られる

彼の信仰は「日本人の自分にも合う和服」に仕立て直され、やがて彼の中で、西洋の厳しく罰する父性的な裁きの神ではなく、やさしく罪を許し、弱き者に寄り添う母性的な神へと変容していく。「母なる神」である。

踏むがいい、お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。
私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。
  (遠藤周作『沈黙』より)

展示室Tに展示してあった『沈黙』の扉には、次のようなサインがあった。

踏絵を踏む 足も痛い   周作  (S54.4.10)



2009年2月6日 角力灘に沈む夕陽 & 随想


2009年2月6日17:44撮影
(2005年2月22日 随想)

実は、私が どうしても遠藤周作文学館を訪ねたかったのには、個人的な理由があった。かなり私的な事情になってしまうのだが、7年前に享年42歳で死去した私の配偶者Aが、遠藤周作が大好きだったのだ。

Aは多感な14歳のとき、実の母親を手遅れの癌で亡くしている。後妻として入ってきた義母とは折り合いが悪く、生前から色々確執があったようで、高校生のときから家を出て一人暮らしを始め、かなりの苦労をしたようだ。家庭や家族の温もりといったものには、ほとんど恵まれない人だった。

Aは ひとり突っ張って強がって生き続け、人前では おどけて明るく振る舞うことも多かった。しかし心の中では、常に母親を呼び求めている人だった。Aが遠藤周作に惹かれたのは、マザー・コンプレックスという共通点に共感するからだと、生前自らよく語っていた。

カトリックの洗礼を受けていた実の両親のもとで、実はAも幼児洗礼を受けてる。母親の遺骨の一部は小さな骨壷に分骨し、ロザリオをかけて、自分の部屋の本棚の片隅に置いていた。それがAの心の支えだった。成人後は、自らのアイデンティティの問題もあったのだろう、教会に行くこともなく、クリスチャンネームを頂戴する洗礼も受けてはいない。しかし、「母親とのつながりとしてのカトリック」について時々話していたのを、今も折に触れて思い出す。

「どんなに否定しても、人は心の奥底では生きたいと思っている。」

Aが死ぬ3日前、震える手で鉛筆を握り、自分のノートに書き残している言葉。

今も その言葉は、私の心に深く鋭く突き刺さり、ノートを手にする度に、私の胸は、えぐられるような痛みと悲しみで、張り裂けそうになる。

不信心な私には、実のところ神や仏が本当にいるのか、死後どうなるのか、ちっとも わかりやしない。しかし、「事実」はともかく、「信仰」という「真実」の世界に、確かに存在する神。もし、そのお方が、遠藤氏の言うように、慈愛に満ちた「母なる神」なのだとしたら、もしかしたら、人一倍苦労の多かったAに、「もう重荷をおろして休みなさい。」とおっしゃったのだろうか …… そんな勝手なことを、ふっと考えたりしていた。

聖書の中に出てくる有名な言葉「疲れたもの、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)を、いつしか頭の中で反芻していた。

    信徒信条  (2004年2月18日 日本カトリック司教協議会認可)

    天地の創造主、 全能の父である神を信じます。
    父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。
    主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、
    ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、
    十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、
    三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、
    全能の父である神の右の座に着き、
    生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。
    聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり 、
    罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。

カトリック信者やキリスト教徒にとって、「死」は終わりを意味するものではなく、「永遠のいのち」をいただくこと。Aが旅立っていった永劫の安らぎの世界は、生前、Aが会いたくてたまらなかった母親も、平成8年に73歳で帰天された遠藤氏もいる世界。そして、いずれは、この私も行く世界。(私は仏教徒だけれども。)

一度、講演会で拝見したことのある遠藤さんの、茶目っ気に富んだ柔らかな笑顔が、「母なる神」の姿と重なった。

地球上の生命は、数十億年前に海で誕生したという。高台に建つ文学館から見渡すことのできる角力灘(すもうなだ)の海は、深い深い青色を呈している。展示品を見学する合間に、展示室の窓から、その「母なる海」を眺めていると、胸が熱くなり、涙が込み上げてくる思いだった。

数年前に引っ越した際、Aの蔵書の殆どは、余儀なく処分してしまった。だが、Aが高校時代に読破したという遠藤周作全集は手ばなすことができず、まだ手もとに残している。Aが愛読した作家は他にも多いけれども、その人生を振り返るとき、やはり遠藤周作は大きなキーパーソン。ゆかりの文学館が長崎県に完成したと知り、足を運んでみたいと前々から思っていた。今回、それがT先生のご厚意により思いがけず実現。T先生には、ただ深謝するのみ。


(2009年2月6日 追記)

2005年に長崎まで連れて行ってくれたS氏は、2007年6月、癌のため享年77歳で逝去された。同じ高校の先輩でもあったSさん(彼は、もちろん旧制中学だが)は、年齢こそ離れていたものの、私にとって何でも話せる良き“親友”であり、彼の訃報もまた、大きな悲しみであった。思い出の地である外海を4年ぶりに訪ねた今回、優しかったSさんの顔が瞼に浮かび、彼の笑い声が、風の中に響いているような気がして、胸がいっぱいだった。外海は、私にとっても巡礼の地になったのかもしれない。

そういえば奇しくも2月6日は、亡夫Aの母親の誕生日だったと記憶している。




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