【崇福寺】 その2
護法堂・鐘鼓楼・大釜・大雄宝殿・媽祖堂門・媽祖堂・開山堂

【崇福寺】その1 三門・坂段・第一峰門 から、つづく



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崇福寺諸堂配置図


黄檗宗のお寺では、門が大雄宝殿などの本堂の主心線への見通しを避け、必ずずらされて配置されるそうだ。このような伽藍配置は、魔除けのためだという。
受付で配布のパンフレットより


護法堂  (重要文化財)


(説明パネルより転載)

 中央に観音、向かって右に関帝、左に韋駄天を祀るので、天王殿・関帝堂・韋駄殿・観音堂などの別名がある。
 黄檗天井・柱上部藤巻(とうまき)・挿肘木(さしひじき)・扇垂木(おうぎだるき)・鼻隠板(はなかくしいた)・半扉など、中国様式であるが、屋根の妻飾(つまかざり)は日本風であるから、軸部を中国で切組んだものを唐船で運び、日本人棟梁が建てたものと思われる。大梁下面に享保16年(1731)に建てた旨の墨書銘がある。梅花奇獣の浮彫りのある柱礎(ちゅうそ)も中国製である。
 昭和58〜60年の修理で、当初材は広葉杉(こうようざん)であることが確認された。

(指定の経過)
明治43.8.29 特別保護建造物(古社寺保存法)
昭和4.7.1 国宝(国宝保存法)
昭和25.8.29 重要文化財(文化財保護法)
崇福寺護法堂
柱礎には、精巧な彫刻
中国で縁起がいいとされるもの
霊獣 獅子
天王殿
韋駄天が祀られている
堂内の扁額「護法蔵」に因み
護法堂と名付けられたそうだ
観音堂
観音菩薩が祀られている
関帝堂
関帝が祀られている


鐘鼓楼  (重要文化財)


享保13年(1728年)の再建。
楼上に正保4年(1647年)開創時の檀越たちの名を連ねた梵鐘がかかっている。
(2007.3.1撮影)
工事中であった


大釜



(説明パネルより転載)

 第2代住持であった唐僧・千がい(「がい」は凱の几の部分が犬)(千呆)性oが、飢餓救済の施粥(せじゅく)のために造った大釜である。

 延宝8年(1680)の諸国不作以来、米穀不足となり、天和元年(1681)には長崎にも餓死者が出た。福済寺2代住持唐僧慈岳や当寺の千がいは、托鉢や富商の喜捨などで粥を煮、多数の窮民を救った。粥の施しを受けるものは多い日には、3,000人から5,000人に及んだという。

 千がいは翌天和2年(1682)2月大釜を造り、4月14日完成。鋳工は鍛冶屋町の鋳物師、安山(あやま)弥兵衛と推定される。
崇福寺大釜
長崎市指定有形文化財
4石2斗を炊くと伝えているそうだ


大雄宝殿  (国宝)



(説明パネルより転載)

 本尊に釈迦(大雄・だいおうの読みもある。)を祀る。中国で切組み正保3年(1646)建立した。寄進者は唐商・何高材(かこうざい)。長崎に現存する最古の建物。はじめ単層屋根であったが、天和元年(1681)魂之えん(ぎしえん、「えん」は王偏に炎)が日本人棟梁をつかい入母屋屋根の上層を付加し、現在の姿になった。

 特徴としては、軒回りの擬宝珠(ぎぼし)付き垂花柱(すいかちゅう)が珍しい。前面吹放ち廊下のアーチ型天井は、俗に黄檗天井と呼ばれ、黄檗建築独特のものである。下層部の当初材は広葉杉(こうようざん)と推定される。

 殿内の釈迦三尊や十八羅漢の仏像群と寺内の聯(れん。柱にかける文字を書いた板)や額(但し、隠元・即非・千がい(せんがい。「がい」は、凱の几の部分が犬)が書いたものだけ)は県指定有形文化財。
国宝 崇福寺大雄宝殿
(だいゆうほうでん)
崇福寺の本堂である
この大雄宝殿は、初め単層(1階建て)だった。
天和元年(1681)頃、2階建てに重層化。

下の層(1階)は黄檗様、上の層(2階)は和様である。
長崎に現存する最古の建物
1階屋根軒丸瓦の瓦頭には
崇福寺の「崇」の文字
2階屋根瓦頭には「福」の文字 立派な鬼瓦が載っている 媽祖堂側から見た側面
「擬宝珠付き垂花柱」が特徴的
大雄宝殿にも、大棟の両端や、「大雄宝殿」の扁額前の柱に「魔伽羅(まから)」が存在する。

火災に遭わないようにとの意味が込められているそうだ。
扁額前の柱の上部に、魔伽羅
(説明パネルより転載)
県指定有形文化財 崇福寺本堂の仏像群(釈迦三尊と十八羅漢)

 大雄宝殿の本尊は釈迦如来座像。向かって右脇侍は迦葉尊者、左は阿南尊者ともに立像。みな中空の乾漆像。胎内から銀製の五臓と布製の六腑が発見された。前者に承応2年(1653)化主(寄付集め世話人)何高材、後者に江西南昌府豊城懸仏師徐潤陽ほか2名の墨書があった。

 左右に並ぶ十八羅漢は中空の寄木造で麻布を置き漆で固めたもの、延宝5年羅漢奉加人数(1677)という巻物が三尊の胎内から発見されたことと、唐僧南源の手紙に唐仏師三人が崇福寺で羅漢を造ると書くので、この三人が徐潤陽ほか2名ではないかと疑うこともできる。どれもみな中国人仏師の作で当寺を示す貴重な作列である。

釈迦如来三尊坐像が安置されているので、大雄宝殿と言う。「大雄」とは釈迦如来のことを指す。
左右には十八羅漢が並ぶ 本尊は釈迦如来、脇侍は迦葉と阿難
この釈迦如来は、なんと内臓を持っているそうな!
十八羅漢は
黄檗系彫像の代表作

昭和10年頃の仏像修理の際、本尊の仏像の内部から、銀製の五臓、布製の六腑等が発見されたそうだ。
金属の五臓を持つのはこの釈迦如来が唯一のものであり、わが国の仏像としてはとても珍しいものとのこと。



媽祖堂門  (重要文化財)


(説明パネルより転載)
 媽祖堂の前にあるから媽祖堂門と呼ばれるが(文化財の指定は媽姐門となっている)、大雄宝殿と方丈とをつなぐ廊下を兼ねた巧みな配置となっている。現在の門は文政10年(1827)に再建したもので、建築様式は和風が基調をなしているが、扉前面に黄檗天井がある。木割が大きく外観がよい。主要材はケヤキである。
 媽祖は、まそ・まぁずぅ・ぼさと読むが、また天妃(てんび)・天后聖母(てんこうしょうも(ぼ))・菩薩・老媽(のうま)などの呼び名がある。海上安全守護の女神で、各唐船には船魂神として媽祖の小像を祀る。
媽祖堂門(媽祖門)
現在、媽祖門を伴う媽祖堂があるのは、全国で唯一、ここ崇福寺だけとか。

平成元年(1989)の保存修理工事の際、この門の中心を支点として、媽祖堂側が山、鐘鼓楼側が埋立地だということがわかったそうである。
媽祖堂の正面に位置する門
奥に媽祖堂が見えている
媽祖堂から見た媽祖堂門
この媽祖堂門は、多くの役割を持っているそうだ。

・媽祖堂の門
・前面と背面との間に地覆石(じふくいし)を入れ前後の高さを変えることにより、
 大雄宝殿正面と方丈を結ぶ渡り廊下の役割を兼ねる。
・媽祖行列などの祭りの際は、媽祖堂と媽祖門との間で媽祖様を神輿に乗せたり
 下ろしたりするため、この媽祖堂門がギャラリー席の役割を果たす。
大雄宝殿の正面から
媽祖堂門を経て、方丈を見通す
媽祖堂側は和式の舟底天井
鐘鼓楼側は中国式の黄檗天井
丸みを帯びた天井である
方丈の前に、魚板が吊り下げられている


媽祖堂  (長崎県指定史跡)


(説明パネルより転載)
 海上安全の守護神媽祖(まそ)を祀る媽祖堂は当寺草創後間もなく、現状より小さなお堂として建てられた。航海安全を最上の願いとする来航唐商たちが祀っていた。ここ崇福寺のほか、唐人の建てた興福寺には媽祖堂があり、福済寺は観音堂の脇壇に媽祖を祀った。寺に媽祖を併せ祀ったのは、長崎の唐寺(とうでら)の特色である。来航唐船に祀る船魂(ふなだま)神の媽祖像は、在港中これら唐寺の媽祖堂に奉安した。現存建物は寛政6年(1794)再建のものである。
 媽祖堂は唐人屋敷内にもあった。天后堂という。
県指定史跡 崇福寺媽祖堂
手前に、媽祖を守護する二神
千里眼と順風耳が控えている
航海の守護神、媽祖 媽祖堂の天井


開山堂





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