石炭記念公園

福岡県田川市大字伊田2734番地 公園内散策自由


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石炭記念公園 案内パネル 石炭資料館2階バルコニーから眺めた中央広場
香春岳の姿が美しい
中央広場から眺めた
屋外展示場と二本煙突
香春岳を背に立つ 「炭鉱夫之像」 炭坑節之碑 種田山頭火 歌碑
廃坑  若葉してゐるは  アカシヤ
「炭坑節発祥の地」の碑
背後に香春岳
(パネルより転載) モニュメントコンセプト

旧産炭地地下の恵みで繁栄してきた田川市の労働歌のモニュメントとして、地下型音響作品となっており、音楽と会話を楽しむことができます。
また、石炭産業の発祥以来、坑内労働で尊い命を落とされた数万といわれている労働者の英霊に対して敬意感謝の気持ちを表すとともに地中で永眠されている人々と現代人とを結ぶコミュニケーションツールとしています。
“炭坑節発祥の地モニュメント” ボタンを押すと、正調炭坑節などの音楽が流れるようになっている
橋本英吉は、明治31年に東吉富村(現・吉富町)で生まれ、炭鉱労働者や農民の生活などを著し続けたプロレタリア作家。
働らく人々の幸福をもたらすもの、どんな政党政派、思想であらうとも、働らく人々のためを思ってくれる者の支持者でありたい。

協同耕作より 橋本英吉
橋本英吉文学碑 石炭の輸送に活躍したSL

伊田竪坑櫓

空が素晴らしく美しい日で、すっくと立つ竪坑櫓の赤が、青空に とても映えていた。
(田川市石炭・歴史博物館ホームページより)

伊田竪坑は、三井田川鉱業所が田川開発の切り札として、1910年(明治43)に完成させました。 そのため、筑豊も深竪坑時代に入り、伊田竪坑櫓は1909年(明治42)に完成しました。 高さ約23mの鉄製で、イギリス様式のバックステイ形です。筑豊に残存する唯一の竪坑関係遺跡です。 



第二竪坑櫓跡

(説明パネルより)

明治40年ころは大竪坑時代と呼ばれているが、伊田竪坑はその代表的なものである。 北側に現存しているのが第一竪坑櫓で、この場所は第二竪坑櫓の跡地である。 昭和44年(1969)年に三井田川伊田炭鉱の後を受けた第二会社新田川炭鉱が閉山するまで使用された。 その後第二竪坑櫓は撤去され、第一竪坑櫓のみが二本煙突とともに炭坑節発祥の地・田川のシンボルとしてその勇姿をとどめている。 
説明パネル 2本煙突を背景に



二本煙突

炭坑節に♪あんまり煙突が高いので さぞやお月さん煙たかろ♪とうたわれている煙突が、この大煙突とのこと。

遠くからも眺められる2本並んだレンガづくりの煙突、高さは45mあるそうで、そばに近づいてみると、想像以上に大きく高い。 ここから黒煙をまき散らされたら、確かにお月さんは煙たかろうと思う。

青空へ向かって真っ直ぐに延びる姿は、見ていて胸がすくようである。 炭坑節にゆかりの煙突を間近に眺める感動、ぜひ味わっていただきたい。
煙突の基部
直径 5.6mあるそうだ
近くから てっぺんを
見上げると、首が痛くなる
(説明パネルより) 大煙突

■完成 明治41年(1908)3月
■高さ 45.45メートル
■直径 上部3.1メートル 下部5.6メートル
■耐火レンガ 213,000枚使用 輸入品(ドイツ)181,000枚 国産品 32,000枚

この大煙突は、蒸気力運転であった第1第2竪坑捲上機の動力用に燃やした石炭の煙りの排煙用としてつくられたもので、使用当時はボイラーが12台設置されており、絶えず黒煙を吹き上げていたということである。昭和26年(1951)、捲上機が電気力運転に変わってからは病院や炭住の風呂等に利用されていたが、昭和39年3月に三井田川炭鉱が閉山した後使用が中止された。炭坑節にうたわれている煙突として有名で東に望む香春岳や竪坑ケイジとともに炭坑節発祥の地としての景観を残している。


■ 石炭記念公園内にある田川市石炭・歴史博物館のページは、こちら


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