亀川ウォーク・正月三社詣コース(3)


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八幡竈門神社を後に、国立別府病院の横を通り、蕩耶泉エリアへと向かう。

道すがら、「御夢想温泉」(散策マップ13)の浴舎の横を通る。こちらはジモ泉=組合員専用温泉で、一般入浴不可。入るあてもない温泉だが、温泉愛好会の我ら、なにやら悲しいサガで、皆、建屋の写真だけはしっかり撮影。
八幡竈門神社の参道が
後ろに見えている
御夢想温泉


蕩耶泉

別府市亀川中央町


これも泉源! それも泉源! あれも泉源! 犬も歩けば泉源にあたる!?
「ほら、それも。」「ほれ、これも。」
スタッフの方が指差される先には、温泉、温泉。

県道642号線を横切り、新川を渡って進むと、そこは「蕩耶泉」と呼ばれるエリアで、数多くの自噴泉源が見られる。ここは、ちょうど亀川断層の上にあたるのだそうだ。

温泉愛好会メンバーご一同様は、そこから零れる湯の匂い嗅いだり味をみたりと、温泉研究(?)に余念が無い。
蕩耶泉(とうやせん) この横に、ここからの湯を引く
ジャングル風呂があるそうだ

「蕩耶」とは、「よこしまなものを雪(すす)ぎなおす」という意味で、「蕩耶泉」は、蘭学者・帆足万里(ほあしばんり)※による命名とのこと。

天保11年に温泉が建てられとき、その費用は、博打をした若者たちから取り上げた罰金をもとにしたという記録があるそうだ。残念ながら、その温泉は現在は残っていない。
表札の字が味わい深い
古い醫院の前を通った

※帆足万里(1778〜1852)
日出町の人で、三浦梅園・広瀬淡窓と共に豊後三賢と呼ばれている。
幕末から明治にかけての大きな存在で、勤皇の志士たちも訪ね、吉田松蔭にも影響を与えた人物として知られる。日出藩の家老として藩財政の再建に功績を残す。代表的著書「窮理通」。若くから西洋科学に興味を持ち、独学でオランダ語を習得。原暦、大界、小界、地球、引力、発気、諸生から成る全8巻。近代思想の種を蒔く労作。東潜夫論はアヘン戦争などの時事を論じ富国強兵を説いた。今も日出町に残る「致道館」には、彼の遺品や著書が展示されている。「致道館」は、安政5(1858)年、15代藩主木下俊程により開かれた藩校で、大分県内に唯一残る藩校建築。また、彼の墓も日出町にある。
(参考資料:「大分の旅・郷土の先達」大分県観光協会発行)



亀陽泉

別府市亀川中央町10-27 TEL:0977-67-1837


いったん亀川商店街を横切って東に進むと、亀陽泉の横に出る。
昭和2年に完成した亀陽泉は、その壮大な浴場ゆえ「千人風呂」と呼ばれていたそうだ。
昭和40年に改築されて現在の形になった。

この亀陽泉は、別府八湯温泉道でもお馴染みの温泉の一つで、私も何度か入っている。私は当然、現在の浴場しか知らない。今の浴槽も広めではあるが、頑張って せいぜい50人の広さの浴槽を「千人」風呂とは何と大袈裟な、と思ったりしていた。

今回、昔の写真を見せてもらい、その浴槽の広さは現在のものの3倍はあったという説明を聞いて、ようやく「千人風呂」に納得できた。
千人風呂の時代は、こちらが入口 (なお@福岡氏撮影)
土田さん、昔の写真を手にガイド中


市姫神社

別府市亀川東町 (散策マップ8)


3社目は、こちら市姫神社。JR日豊本線の線路のすぐ横に位置する。

今は埋め立てられているが、昔はすぐ近くまで海だったそうだ。
南側の鳥居から境内を見る なお@福岡氏撮影
拝殿前で何やら撮影中の私 →
→ 私が撮っていたのは
境内にいる皆さんの様子



市姫神社から、再びJR日豊本線の線路を横切り、住宅地を抜けて、亀川商店街の「からつや」さんを目指す。日豊本線って単線だとばかり思っていたら、この辺は複線であることに初めて気付いた私 ○| ̄|_

犬猫ウチに入ってくれるな、って。
面白いなぁ。
皆さんが、お口アングリ
見上げているのは →
( なお@福岡氏撮影)
→ カラフルな鏝絵
波の形の面白い鬼瓦を発見。
火災除けのおまじないだろう。

左の2枚の写真は、ガイドの土田さんが「一番好き」だとおっしゃるシンプルな鏝絵。意匠はツバメらしい。


新年会まとめ

亀川ウォーク(1)  亀川ウォーク(2)  亀川ウォーク(4)  亀川ウォーク(5)  コース地図(散策マップ)


温泉めぐりモノグサ写真日記@九州  別府市  2006年01月一覧


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