【博多情緒めぐり2006】 ガイドと街歩き
太閤町割り・商いコース その1

基本データ
URL 博多めぐり
開催期間 博多情緒めぐり2006 平成18年10月20日(金)〜11月15日(水)
コース地図 博多情緒めぐり コースマップ(PDFファイル)
訪問日 2006.11.10

前回参加した街歩き「発祥の地・寺社めぐりコース」が面白く、とても勉強になったので、今度は「太閤町割り・商いコース」に参加してみた。



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このコースのキャッチフレーズは「甘い香りを辿ってみれば、心に響く商都の心意気」。博多を代表する老舗のお菓子屋さんにも立ち寄る。

私が振り分けられたB班の参加者は7名で、福岡市内在住の地元の方がほとんど。私と同じように他コースが面白かったからリピートしたという方もおられた。

今回のガイドさんは、中洲生まれの中洲育ち。なかなかお話上手で、わかりやすいガイドだった。
法被姿のガイドさんと
黄色い旗を持つサポーターさん
ガイドマップ、領収の半券など
お菓子と水も、頂戴した


櫛田神社


どのコースも、博多の総鎮守である「お櫛田さん」からスタートする。

同じ神社に三柱の神様をまつってあるのは、珍しいという説明。
(ガイドマップより転載)
博多の総鎮守であり、博多祇園山笠で有名な神社。祭りの期間中、山笠に関わる人はお櫛田様に敬意を表して「きゅうり」を口にしない約束を守っている。これは、櫛田神社の祇園宮の神紋が「きゅうり」に似ていることに由来する。境内には飾り山が常設されている。
「櫛田神社は、
商売繁盛の神様です。」
博多祇園山笠の「舁き山笠」には、車輪が無い。すべて人力で担いで「舁く(かく)」。流れは7つ。

ガイドさんが「博多祝い唄」の一番を歌ってくださった。
7月15日早朝の「追い山」行事の「櫛田入り」では、その年の一番山だけが、この場で歌うことを許される歌だ。
博多祇園山笠の
説明を受けているところ
「山笠のときには、
ここに清道旗が立ちます。」
「櫛田入り」のタイムは、だいたい35秒〜40秒。ここから博多の町に飛び出した「舁き山笠」は、「廻り止め」といわれるゴール地点を目指し、約5kmのコースを全力疾走する。そのタイムは、30分ほど。

常設の「飾り山」を見学。櫛田神社の方角へ「表」を向けて飾られる。

脇の夫婦銀杏(ぎなん)も、そろそろ色づき始めていた。
山笠の前になる「表」
合戦や武者ものが飾られる
山笠の後ろになる「見送り」
テレビや童話などを題材にしたものが飾られることも多い
おまけの雑学講座で「豚返し」を教えてもらう。

昔、食用に境内でブタを飼っていた名残で、ブタが外へ出ないように敷居が設けてあったとか。
「豚返し」
この高さがあれば、豚は越えられなかったとか…
櫛田茶屋
「櫛田の焼き餅」で有名


川端商店街


博多川端商店街ホームページ

櫛田神社を後にして、川端商店街のアーケードを歩いて抜ける。言うまでも無く博多部の中心商店街で、「上川端商店街」「川端中央商店街」の2つで構成される。


このあたりは戦前から戦後にかけて市内でも最も賑わった地区だそうだが、博多駅の移転や市電の廃止、天神地区の整備などに伴い、人通りは一日2,500人にまで落ち込んだとか。

しかし、博多部活性化の起爆剤として、平成8年にキャナルシティ博多がオープン。川端商店街も共存共栄を目指し、様々なPR活動を経て、現在は人通りも回復。休日ともなれば、かなりの賑わいを見せている。
上川端商店街
櫛田神社側の入り口
上川端商店街
上川端商店街には、長谷川法世さんのイラストによる「博多弁講座」の垂れ幕などが下がり、楽しい。

福岡育ちのはずなのに、私には、わからない博多弁も多い。
博多の歴史と日本史とを対比させた「歴史年表」や
博多祇園山笠の大黒流「櫛田入り」の写真なども、パネル展示
「せいもん払い」に向け準備中
11月15日から
明治の演劇界で活躍した川上音二郎は、博多出身。「オッペケペー」で有名。

現在、明治通り沿いに彼の像があるのだが、通りを挟んだ向こう側(博多座がある側)に、マダム貞奴の像を設ける構想などもあるとか。
ここを境に、上川端商店街と
中央商店街が わかれている
北側は、川端中央商店街 川端商店街 北側入口に
川上音二郎の像がある


川端ぜんざい広場


(ガイドマップより転載)
日本一甘いと評判の「川端ぜんざい」が食べられる広場。完食するには、お茶と漬物のローテーションを駆使することがポイント。昭和60年に一度閉店したが、地元商店街の有志の努力により再開した。店内には博多祇園山笠の飾り山が常設されている。
営業日は
週末・祝日と限られる
ぜんざい一杯400円也

上川端商店街の中にある「川端ぜんざい広場」を見学。

現在、ここで食べられる川端ぜんざいも十分に「甘過ぎる」のだが、昔の本物の川端ぜんざいを知る人は、おしなべて「昔の川端ぜんざいは、もっと甘かった!」とおっしゃる。
想像を絶する(?)甘さだったらしい。
飾り山が常設展示してある 壁面には「舁き棒」
材は日田杉

ぜんざいが どんぶりに入れられて出てきたこと、タクワンがドンと盛られていたこと … ご年配の参加者たちは、しばし楽しい昔話に花が咲いていた。



明治通り


明治通りは、昔、金融街で、一流銀行は、かつて、この通り沿いにズラリと並んでいたそうだ。

博多部の町が焼き尽くされた昭和20年の福岡大空襲。防空壕代わりに使われていた西日本銀行博多支店(当時、第十五銀行ビル)の地下室では、そのとき、窒息死による大勢の犠牲者を出し、現在も慰霊祭が行われているそうだ。
その「十五ビル」の跡地が、現在の博多座。


博多リバレイン、博多座を
眺めながら明治通りを歩く
月替わりで様々な演目が公演される博多座

博多座では、毎年6月に歌舞伎が上演される。それに先立ち、5月29日に、横を流れる博多川で歌舞伎役者の「船乗り込み」が催され、いまや博多の初夏の風物詩となっている。



松屋菓子舗


そもそも饅頭は、承天寺で聖一国師が広め、全国に伝わったとか。
その聖一国師が托鉢をして歩いていた途中、西公園付近の茶屋の主人、栗波吉左衛門に親切にしてもらったお礼に酒まんじゅうの作り方を教えた。吉左衛門がこの酒まんじゅうを商品にして屋号を「虎屋」として開店、これが饅頭屋の元祖と言われているそうだ。



入り口にたくさん並ぶ「総代」の木札は、博多祇園山笠への貢献度の大きさの証。
店舗入り口 玄関脇にズラリと並ぶ
「総代」の木札
聖一国師が書き与えたとされる
「御饅頭所」の看板
店内には、聖一国師が書いたとされる「御饅頭所」の看板の複製が置いてある。

ここに置いてあるものはレプリカだが、聖一国師直々のお墨付きをもらったという、とても貴重な証だそうだ。
店内の様子 鶏卵素麺で有名


土居通り


博多部を歩いていると、旧町名と その説明が書かれた石碑を あちこちで見かける。この碑は、かつて、福博の町を走っていた西鉄の路面電車の敷石を用いたものだそうだ。

路面電車が全線廃止されて久しいが、年配の人には、今も明治通りを「電車道」と呼ぶ者が少なくない。
明治通りから西に折れ
土居通りに入る
旧町名を示す石碑

博多は旧町名の多かったところ。再開発による町名整理で消えていったが、長崎が旧町名を復活させたように「町の再生には、旧町名の復活が鍵になると思います。」とガイドさんは熱く語った。



綱敷天満宮 (つなしきてんまんぐう)


(ガイドマップより転載)
901年に菅原道真が大宰府に左遷され、博多に上陸した時に、長旅の疲れと心労で髪も髭も白くみすぼらしい姿であったが、それを見た地元の漁師達には「普通の人にはない気高さ」を感じ、船のとも綱を輪にして円座をつくり、お迎えしたという逸話が残る。
いやぁ…こんなところに天満宮があるとは、知らなんだ!!もちろん初訪問。

道真は、この地から太宰府へと向かい、榎社(榎寺)での幽閉生活の後、2年後に亡くなったそうな。この場所に社殿が建ったときは綱輪天神といったが、次第に綱場と呼ばれるようになったとか。

この付近一帯の町名「綱場」は、このお話に由来するというわけだ。
「綱場町」の町名は
今も残っている
この付近一帯は
問屋が非常に多いところ


チョコレートショップ


チョコレートショップ ホームページ


「博多のチョコのはじまりどころ」、博多で初めてのチョコレートショップ。

創業は昭和11年(1942)。

店舗外観
2003年に店屋町から現在の店舗に移転
サポーターさん
御馳走様でした
この日も、店内は大勢のお客さんで賑わっており、やはり人気店である


→ その2へ、つづく




温泉めぐりモノグサ写真日記@九州  福岡県  2006年11月一覧


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