平尾山荘(野村望東尼山荘跡)


平尾山荘(2007年6月3日) / 管理棟(資料展示室) / 改装後の平尾山荘(2011年2月25日) /
2月 梅 / 4月 桜 / 6月 梅の実・紫陽花 / 11月 紅葉 / 野村望東誕生之地


基本データ
URL ◆福岡市中央区 中央区みどころ情報発信館 野村望東尼
◆福岡市中央区 中央区みどころ情報発信館 望東尼祭
◆冒険ふくおか より 中央区Bコース 平尾山荘
◆よかなび web より 平尾山荘
◆福岡市博物館 幕末を生きた福岡の人々 野村望東尼
◆福岡よかとこ.com より 幕末のドラマが息づく「平尾山荘跡」
◆ほうふWeb歴史館 より 野村望東尼
野村望東尼 ひとすじの道(谷川佳枝子さんホームページ)
住所 福岡県福岡市中央区平尾5丁目2-28
電話番号 092-531-6866
営業時間 24時間 (草庵の内部公開は9:00〜17:00)
定休日 無休
入園料 無料
訪問日 2007.6.3

私が野村望東尼の名を知り、この公園を訪ねるようになったのは、もう20年以上前の話。お下げ髪のセーラー服姿で3年間通った中学校は、この公園から歩いて20分程の福岡市内の女子校で、その校歌の一節に、望東尼の名前が織り込まれていたのだ。

しかし、彼女の詳しい生涯を知り、公園に すっくと立つ胸像を見ることが私の心の支えとなり始めたのは、私自身が27歳のとき夫を亡くす体験をした前後からで、この10年程の話。

望東尼は、17歳で最初の結婚をするが、半年で離縁する。24歳のとき、12歳年上の福岡藩士・野村貞貫の後妻として嫁ぎ、彼女自身は4人の女の子を産むものの、みな早逝。夫の三人の連れ子は、長男は自殺、次男も42歳で死去、三男は行方不明。66歳の夫と死に別れたとき、彼女は54歳であった。初七日が済んで剃髪し、仏門に入り招月望東禅尼となる。この後、50代半ばにして彼女の人生は大きく変わり始める。数々の逆縁が彼女を強く逞しくし、後の彼女の怒涛の人生を支えたのではなかろうかと、私は勝手に想像してみる。

高杉晋作が平尾山荘に身を隠したのは、元治元年(1864)11月の十余日。後に望東尼は60歳で玄界灘の姫島への遠島を命ぜられ、獄舎に幽閉されるが、高杉晋作の計らいで救出される。望東尼は、晋作が待つ下関に連れて行かれ、そこで2年ぶりに彼と再会。しかし、晋作の体はすでに結核に侵され、彼女はその死を看取ることになる。死の床で「おもしろきこともなき世をおもしろく」と晋作が詠み、力尽きると、望東尼が「すみなすものは心なりけり」受けたと言われる。

おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり

この高杉晋作の辞世の句は、つらいとき、苦しいとき、私の心に繰り返し響いてくる歌のひとつである。



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こんもりと緑が茂る平尾山荘跡 「平尾山荘通り」 周辺は閑静な住宅街 「野村望東尼山荘跡」
平尾山荘は福岡市の史跡に指定されおり、歴史公園として、市民に開放されている
平尾山荘(ひらおさんそう) (現地パネルより転載)

歌人 野村望東(尼)が夫と隠棲した山荘である。夫をなくした望東は尼となったが、幕末の国情に心を痛め、勤皇の志に燃えた。山荘には高杉晋作、平野国臣ら藩内外の志士がひそかに集まり、話し合う場所となった。望東尼は志士たちを励まし、この山荘にかくまった。
四季折々の植物が美しい
毎年、望東尼の命日である11月6日には、「望東祭」という慰霊祭が賑々しく行われるそうだ。
昭和41年11月6日、百年祭のときには、望東会により記念碑が建設され、梅100本が植樹されている。
裏手の雑木林の中の神祠


望東尼胸像


うき雲の かかるもよしや もののふの 大和心(やまとごころ)の かずにいりなば


野村望東尼の胸像
昭和43年8月10日・除幕式
時代を見つめる凛とした姿 裏面 胸像の台の裏面に刻まれた和歌


歌碑


武士の やまと心を よりあはせ たヾひとすぢの おほつなにせよ

裏手の雑木林にたつ歌碑 街中とは思えない
こんもりとした雑木林
東久世通禧の筆によるもの 裏面


草庵


雑木林の中から見た草庵 庭園の中から見た草庵
望東尼が閑居した江戸時代の草庵は早く廃屋と化したが、明治42年(1909)に組織された「向陵会」によって復元されたそうだ。

その後、保存活動が続けられ、昭和27年に結成された「望東会」に引き継がれた後、再建築されたのが、現在の建物である。管理人さんに伺ったところ、昭和30年(1955)頃とのこと。隣接する管理棟も、そのとき一緒に完成。

復元されている現在の草庵も、こぢんまりしたものだが、管理人さんによれば、望東尼時代の山荘は、さらに小さな建屋であったらしい。「なにしろ夫婦二人の閑居ですから、それで十分だったんでしょうねぇ。」なんでも屋根裏には隠し小部屋があったそうで、そこに高杉晋作を かくまったとか何とか、へぇ〜。

なお、平尾山荘は、昭和22年(1947)に周辺の土地約3,700平方メートルと一緒に福岡市に寄贈され、現在、市が、その管理に当たっている。
梅雨時は、アジサイが美しい 入り口付近
縁側へと向かう 縁側
近所のクスの大木の
クス若葉が瑞々しい
縁側
前方の庭 現在の庭には、背の高い
メタセコイアの木も茂る
福岡市内では、今では
藁葺きの屋根は大変珍しい
玄関から 日中(午前9時〜午後5時)は、内部が公開されている
草庵の裏には井戸がある。旱天の時も枯れない清泉だそうである。
管理人さんのお話では、この井戸は望東尼の時代からのものだそうだ。

かつて、この清水は、お茶の水として最適だったらしいが、残念ながら現在では濁りがひどく、飲用することは無いとのこと。
井戸は浅いものだが、現在も昔ながらに湛えられている水は
この底から湧き出ているものだと管理人さんが教えて下さった



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