藍染川・梅壺侍従蘇生の碑・伝衣塔

基本データ
URL 太宰府市文化ふれあい館 > 太宰府Museum より  藍染川
西都 太宰府 より
西都史跡名所案内 管公伝説の地 伝衣塔・藍染川
住所 福岡県太宰府市宰府2丁目  ▼地図こちら(MapFanWeb)
電話番号
見学時間 24時間
定休日
入場料 無料
訪問日 2008.4.30 他

光明禅寺の前を流れる藍染川の小川に沿って少し西に歩くと、藍染川に身を投げ、蘇生したという「梅壺侍従蘇生の碑」がある。

その奥、小山の麓には、渡唐天神信仰を伝える「伝衣塔」が、ひっそりと たっている。

団体観光ツアーで訪ねるような場所ではないが、数々の文学作品に登場する藍染川、足を運んでみてはいかがだろうか。



写真をクリックすると拡大表示、矢印キーでスライドします。


藍染川&梅壺侍従蘇生の碑


光明禅寺の山門前にある
「藍染川」と刻まれた石柱
光明禅寺の前を、東から西へと流れる藍染川  知らなければ見落としてしまいそうな小さな小川だ
古くは染(そめ)川といい、『伊勢物語』をはじめ『後撰和歌集』『拾遺和歌集』など多くの和歌集にみえる。「そめ」という音が「おもいそめ」「あいそめ」などにつうじ、のち愛染川とも書く。「そめ川」を渡る行為は男女間の葛藤の場面では重要な演出効果をもつ、そういう川だったらしい。
中世の謡曲「藍染川」はこの川を舞台としたもの。

(出典:『博多・太宰府散歩24コース』福岡県高等学校歴史研究会編、山川出版社)
今は小川だが、昔は大きな川で、川幅も広く水量も多かったとか
光明禅寺の西側、小山の麓に「梅壺侍従蘇生の碑」「伝衣塔」がある 梅壺侍従蘇生の碑
藍染川(あいぞめがわ)  ※現地パネルより転載

そばを流れる小川には藍染川という美しい名前がついている。
この川は謡曲「藍染川」の舞台となった。天満宮の神官 中務頼澄(なかつかさよりずみ)を慕って筑紫に下ってきた京女梅壺は、頼澄に会えない悲しみに藍染川へ身を投げた。それを知った頼澄が天神様に祈ったところ梅壺は行き返ったという話である。

玉垣(たまがき)に囲まれた石は梅壺侍従蘇生の碑である。


伝衣塔(でんえとう)


伝衣塔 伝衣塔の横の祠
鎌倉時代のこととしてつぎのような話が伝わっている。

太宰府横岳(よこだけ)崇福寺(そうふくじ)に聖一国師(しょういちこくし)(円爾弁円(えんにべんえん))という有名な僧侶がいた。夢枕に菅神(かんしん)(菅原道真)があらわれ禅の教えをこうた。国師は自分の師である宋の仏鑑(ぶっがん)禅師(無準師範(ぶじゅんしはん))を紹介したところ、菅神は一夜のうちに宋に渡りたちまちに悟りを開いたという。

悟りの証として仏鑑禅師から衣をさずけられた菅神は、再び聖一国師のもとにあらわれ衣を託したという。そののち聖一国師の跡をついだ鉄牛円心(てつぎゅうえんしん)のもとに再び菅神があらわれ、託した衣を1ヵ所におさめて祀ってほしいといわれ、それをおさめたところが伝衣塔という。1273(文永10)年再び菅神があらわれて、その地で毎年衣を拝護するように告げ、創建された寺がその横にある光明禅寺と伝える。渡唐(宋)天神信仰を物語る話である。

昭和になると出兵兵士に贈る千人針にこの伝衣塔の苔をむしって縫い込んだため、苔がすっかりなくなったという。中国に渡り、一夜のうちに無事に戻ってきた菅神の故事に、庶民の切ない願いが仮託されたものである。

(出典:『博多・太宰府散歩24コース』福岡県高等学校歴史研究会編、山川出版社)


温泉めぐりモノグサ写真日記@九州  福岡県  2008年04月一覧


Copyright(C)since2004 MOGUSA All Rights Reserved