出津文化村

基本データ
URL ■あっ!とながさき より 外海・琴海地区
■旅する長崎学 【第3回】世界遺産候補を巡る旅 平戸&外海編
■旅する長崎学 【第15回】小説の舞台を歩く(2)
■ながさき暮らしホームページ より エリア別生活情報 : 外海地区
住所 長崎県長崎市西出津町 ▼地図こちら(MapFanWeb)
電話番号 問い合わせ : 長崎市外海行政センター 0959-24-0211
訪問日 2009.2.6

長崎市の北西に位置する外海地区の地形は、山々が海岸まで迫って険しい崖となり、平坦地に乏しい。交通の便が悪かった昔は陸の孤島であり、その厳しい自然条件ゆえ、禁教の時代にキリシタン達が隠れ住むのに都合がよかったのだという。その隠れキリシタンの信仰の歴史を物語る史跡が、外海には、現在も数多く存在する。

特に明治時代にフランス人宣教師マルコ・マリ・ド・ロ神父が活躍した西出津町の一帯、旧出津救助院やド・ロ神父記念館、出津教会などの文化財が集積する場所は、「出津文化村」として整備されている。

ド・ロ神父(1840〜1914)が来日したのは慶応4年(1868)。司教の命を受け、外海村の出津・黒崎地区の主任司祭として明治12年(1879)にこの地に赴任してきた。それから明治44年(1911)に健康を害して大浦へ帰任するまでの33年間、つまり人生の大半を、彼は、貧しさにあえぐ外海の人々を救うために献身し、人々の信仰を復活させたのである。私財を投じて数多くの事業を行い、パンやマカロニ、製粉、搾油、ソーメンなどの製造を教え、さらにイワシ網工場、農業、土木の技術を指導し、医療活動も行ったというド・ロ神父の多才ぶりと偉業の数々を、出津文化村で偲ぶことができる。



(1)遠藤周作文学館 (2)ド・ロ神父記念館
  (鰯網工場跡)
(3)外海歴史民俗資料館 (4)外海子ども博物館
(5)沈黙の碑 (6)出津文化村憩いの広場 (7)旧出津救助院
  (国指定重要文化財)
(8)出津教会

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出津文化村案内図   (現地パネルより転載)


外海地域の出津地区は、ド・ロ神父関係の史跡が集まり、キリシタンなどの歴史を背景として、特異な地域特性を備えています。出津文化村は、地域一帯の特色に配慮しながら、文化・観光のシンボルゾーンとして、新しい創造を加えて魅力ある環境を創出したものです。

ここには、昭和43年11月に開館したド・ロ神父記念館をはじめとして、外海歴史民俗資料館、外海子ども博物館、姉妹都市公園、作家・遠藤周作氏の代表作『沈黙』の文学碑や遠藤周作文学館があります。また、ド・ロ神父ゆかりの出津教会や旧出津救助院(国指定重要文化財)など多くの史跡が集まっています。

出津文化村は、フランスの香り漂う心の観光地として、多くの皆さんに親しまれています。
出津文化村案内図
外海 地図
2009.2.6.
日本水仙の花が綺麗
2009.2.6 17:29 美しい夕陽
この辺り(MapFanWeb)から

恥ずかしながら浅学な私は、実のところ、歴史上に実在したド・ロ神父のことを知ったのは、2005年2月に遠藤周作文学館に連れて行ってもらった折。そのとき案内してくださった長崎市在住のT先生が、車中でド・ロ神父のことを語るのを聞いて、その偉人の名前を初めて知ったような次第だ。

遠藤周作文学館で受けた感銘を、かつて亡夫が某ミッションスクールに教員として勤めていた時の同僚であり、ご一家で敬虔なカトリック信者でいらっしゃる昭和9年生まれのM先生宛ての翌年の年賀状に簡単に書き添えたところ、「私は元気に教会活動の奉仕に励んでおります。一昨年、キリスト教超教派の集まりで、外海へバス旅行の案内をし、よろこばれました。本当に“海が哀しいほど碧い”でした。」というお返事を頂戴した。

自分なりに少しばかり外海のことを調べる中で、出津文化村のことを知ったとき、キリスト教徒やカトリック信者の方たちにとって、外海という場所が、どれだけ特別な意味を持つ地であるか、なぜ遠藤周作氏がこの地を愛したのか、衝撃にも似た深い感動と共に、やっとほんの少しだけ合点がいった。

出津文化村では、時間が足りず、まだまだ私は見ていない場所が多い。いつになるかわからないけれど、機会を見つけて、ド・ロ神父がこの地に刻んだ足跡を辿る心の巡礼に、あらためて出かけたいと願っている。




温泉めぐりモノグサ写真日記@九州  長崎県  2009年02月一覧


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