基本データ | |
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訪問日 | 2010.3.5 |
元禄2年(1689年)、久留米藩が、矢部川の護岸工事用の石を運ぶ平田船を格納するため建てた小屋が、当時、「石船小屋」と呼ばれていたところから、「船小屋」の通称が生じたそうだ。船小屋温泉の歴史は、船小屋温泉郷公式WEB
船小屋の歴史に詳しい。
船小屋鉱泉源公園は、平成21年度に改修工事が実施されているが、久しぶりに訪問したところ、かなり広くなっていた。
写真をクリックすると拡大表示、矢印キーでスライドします。
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「船小屋鉱泉源公園」「雀地獄」のパネル、淡水魚オヤニラミのモニュメントが、東側入り口の一か所に集められ、わかりやすくなっていた。![]() 雀地獄の様子は、動画の方が、よく伝わると思う。 |
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東側入り口 | ブクブク湧き上がる雀地獄 | ||
船小屋鉱泉・長田鉱泉に含まれる炭酸ガスは、火山ガス起源ではなく、生物起源とのこと。 天然炭酸泉が出来るメカニズムは、次のように説明されるそうだ。おそらく太古の大洪水・土石流によって、植物を主体とした大量の生物が矢部川上流から運ばれ、扇状地先端に埋没した。この埋没生物が、メタン細菌により分解されて、ジワジワと発生する炭酸ガスが、炭酸の起因と考えられる。この炭酸ガスは、幾層もの帯水層と粘土層に封じ込められているが、断層や裂孔から漏れ出す時、矢部川と清水山に始まる筑肥山地からの伏流水である豊富な地下水に高濃度で溶け込む。 山間部に存在する火山性の炭酸泉とは違い、平地にあるため、アクセスしやすいことも船小屋温泉郷の魅力だという。 |
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南を見る 写真右奥は、ホテル樋口軒 |
駐車場も完成 | ||
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【資料】(平成13年12月3日付 平成13・11・30中庁第1号) [様式2]工事の競争入札の発注に関連する情報 発注機関名:筑後市、発注部署名:都市対策課 工事名:まちづくり交付金事業 船小屋鉱泉源公園施設整備工事 工事場所:福岡県筑後市大字尾島公園整備、工事概要:A=1,900m2 工期:H21.7.16 〜 H21.12.18
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東の鉱泉場の方を見る | |||
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公園内のパネル : 船小屋温泉の始まりと歴史 | 船小屋温泉郷の今と昔 |
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船小屋鉱泉場の北側に、漱石の句碑が建っている。 ひやひやと 雲が来るなり 温泉の二階 明治29年、熊本第五高等学校に赴任した夏目漱石が、結婚したばかりの妻・鏡子と一緒に、福岡に住む鏡子の叔父を訪ねる途中、船小屋に宿泊した折、詠んだ俳句とのこと。「正岡子規へ送りたる句稿その十七 九月二十五日」収録。 |
雀地獄の由来 | 左側の石碑が 夏目漱石の句碑 |
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西側入り口 | 水汲み場 | 蛇口をひねると、炭酸泉が | |
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船小屋薬師 | |||
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シロアリ被害の工事だとか | 写真右奥が船小屋鉱泉源公園 | 鉱泉場の東側広場には、テーブル&椅子が並べられていた |
温泉めぐりモノグサ写真日記@九州 福岡県 2010年03月一覧