普照山 本行院

基本データ
URL
住所 福岡県福岡市南区井尻4丁目23-27 
電話番号 092-581-1592
拝観時間 昼間の常識的な時間に
定休日
拝観料 境内お参り自由
訪問日 2008.7.27 / 2008.8.15 / 2010.3.19 他

福岡市南区井尻の市街地、西鉄電車の井尻駅から、徒歩10分もかからない地に佇む古刹が、こちら普照山本行院。三井寺(滋賀県大津市)を本山にいただく天台寺門宗の寺院だ。

友人371さんのご実家の菩提寺だそうで、「猫大好きお寺さん」として紹介いただき、私は、このお寺のことを知った。初めて訪ねてみたときは、美しい山門の姿に見とれたものだ。

春の彼岸の入りをした翌19日、ぶらぶらと近所を散歩していたところ、ちょうどご住職が車で帰ってこられた。今まで本堂に上がったことがないので、ご住職にお願いしてみたところ、快くお参りさせていただき、また、いろいろ教えてくださった。お寺のこと、修験道との深い関わり、明治期の神仏分離令により行われた廃仏毀釈の中で、修験道が嘗めた辛酸の歴史(北側に隣接する平原寶満神社も、神仏分離の流れの中で建立されたとか)、さらに、現代社会の風潮への憂慮など。お寺で静かに手を合わせるだけでも心落ち着くものだが、ご住職や寺族の方とお話しして、さまざまな「気づき」を得られるのも、また、ありがたい時間。寺や神社、宗教のあり方とは、本来、そういうものだと思う。

筑紫野市出身の私にとって、宝満山は、子どもの頃から慣れ親しんだ身近な場所。その宝満山の修験道や山伏を統括する立場にあったのが、こちら本行院とのことで、郷土にゆかりのお話を、興味深く伺った。ちなみに、私は、山口(旧・山口村)という集落の小学校に6年間通ったが、本行院は、昔から山口村とのご縁が深いとのこと。「なぜ山口村との関係が深いのか、そこまで聞いたことはないんですが。」と、ご住職。毎年、夏の暑い盛りに、山口で護摩焚きされるんだって。私にとっても、親しみを感じるお寺さんとなり、お彼岸にお参りできたというのも、目に見えない何かの御縁に導かれたのかもしれない。



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通り北から南を見る 通り南から北を見る
和銅2年(710年)背振山座主湛誉上人(せふりさんざしゅじんよしょうにん)が権大寺と称して創始されたもので江戸期以降は浄土院と呼ばれていました。現在の本行院は明治33年滋賀県大津市の総本山園城寺の境内から別院として移転されました。代々住職は宝満山の修験道を統括されているとのことです。本尊は一丈六尺(約4.5m)の馬頭観世音菩薩(ばとうかんぜおんぼさつ)の立像で胎内には近郷の戦没者の霊が祀られています。
南区まちづくり活動協議会 南区校区よかとこ再発見 > 6.高木校区 > 8.本行院 より転載
西に向けて開かれた山門
立派で、なんとも美しい姿
山門の2階は鐘楼堂 山門上部に梵鐘 「慈音の鐘」 盤渉調
山門の柱に、札が3枚。

筑紫観音第三番霊場
天台寺門宗福岡第一宗務支所
総本山三井寺別院 本行院
天台寺門宗
福岡第一宗務支所
総本山三井寺別院
本行院
境内側から見た山門
710年に始まる寺の歴史は長いが、江戸時代には「浄土院」と呼ばれていたそうだ。明治期に、総本山・園城寺(三井寺)の境内にあった「本行院」が移転してきて「本行院」となり、現在に至っている。

移転の際、五十石を与えられたという。

「黒田五十二万石なんて言うのに比べると、五十石というと、大したことないように感じるかもしれませんが、お寺としては、とても格が高いんです。」

廃仏毀釈による修験道衰退の歴史、また、戦時中の苦しい時代の中、その「格式」を守ることは、並大抵のことではなく、歴代のご住職は、苦心を重ねてこられという話。

ちなみに、本行院となってから、現在の藤野賢隆ご住職で、5代目とのこと。
山門から、本堂を見る 本堂と納骨堂
左手に庫裏 庫裏玄関の前には藤棚
本堂 正面は西に向く 木鼻は獅子 挙鼻(あがりばな)の龍
留蓋瓦は、菊

ご住職の話によると、本堂脇には、筑紫野市の旧・山口村から見つかった石仏も、祀られているそうだ。
本堂の右脇、納骨堂の奥、子安観音の祠や石仏が並ぶ
手水舎 納骨堂 納骨堂前の地蔵大菩薩 動物の慰霊塔なのかな?
多くの石仏が祀られている
2008.8.15撮影 樹種 ソテツ
福岡市 保存樹 南168号
樹種 まき
福岡市 保存樹木 南125号
2008年8月15日撮影 お盆


本行院本堂


きれいな生花のお供えは、ご法事だったのか、春彼岸だからか
本尊は、馬頭観世音菩薩の立像 高さは4.5m

現在のご本尊である馬頭観音は、数代前のご住職が、自らの手で刻まれたもの。本尊も筑紫野市山口との縁が深く、「ほとんど山口村でとれた材を使っています。」それ以前に寺に伝わっていた本尊(観音さんだったか?失念。)を、胎内に納めているとのこと。

本堂には、絵馬も掲げられている。馬頭観音は、牛馬や畜生の守護仏としても祀られることから、絵馬が奉納されるのだそうだ。
宝満山修験道先達任命式
(竈門神社)の写真

明治元年(1868年)の神仏分離令の布告を契機に、宝満山では廃仏毀釈が行われ、山内の建物や仏像、仏具、経典などが徹底的に破壊された。25坊あった山伏も山を降りていき、後に修験道も廃止された。(出典:トピック展示「祈りの山 宝満山」九州国立博物館小冊子)

その山伏の入峰の伝統を復興すべく、1982年、開山・心蓮上人の1300年遠忌を記念して「宝満山修験会」が結成され、太宰府天満宮の西高辻宮司や森弘子さんらを中心に、現在、積極的に活動されているそうだ。竈門神社での大護摩供は、本行院ご住職が勤められている。永福寺(糟屋郡新宮町)のサイトには、宝満山峰入りの紹介が詳しい。



本行院の猫さんたち


玄関の中の上がり口にも
一匹座ってますニャ〜
2008.7.27撮影 2008.7.27撮影
本行院では、たくさんの猫が飼われており、境内を自由に駆け回っている。この日、私は5匹を確認したが、正確には何匹かな?庫裏の玄関には、猫の石の置物も。

境内を見学させてもらっていると、この猫ちゃんたちが、そばに寄ってきて、まるで案内してくれているかのよう。お参りのとき、猫ちゃんに心癒される人も、きっと多いだろう。

ご住職に、「猫ちゃんが、たくさんいるんですね。」とお話しすると、とたんに相好を崩された。猫好きに悪い人はいない。

「昔は亀を飼っていまして、亀寺と言われていたんですが、今では猫寺になっていますね。動物に、悪い動物というのは、いないんですよ。最も性悪な動物は、人間です。」

(2010.3.24)

今日は、山門で、2匹の猫ちゃんと会う。ちょうど奥さんが帰ってこられたので、全部で何匹いるのか尋ねてみたところ、「さぁ?」お寺の人でも把握できないほど多いのかい!

この子たちは、もともと野良猫で、境内に捨てられたり置き去りにされているのを保護しているのだそうだ。
ユキノシタが咲いていた
2010.3.24撮影 2010.3.24撮影


本行院境内の花


2008.8.15撮影
チャワンバス(茶碗蓮)?
ジンチョウゲ 白 モクレン キンカチャ(金花茶)
ヒマラヤユキノシタ 2010.3.24撮影 サクラ



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